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イテー!(見てー!)とHalが今日も僕を呼ぶ。
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ミニカーが8台ほど整然と並べられていたり、ティッシュペーパーの箱が4段ほど積上げられていたり等々、まあ他愛もないことなのだが、見せるために彼なりにあれこれと工夫を凝らし、新しいことに挑戦している。それを見た僕が大げさに「すごいじゃんHal、一人でやったのー?すごいなー」と驚くと、嬉しくてたまらん、という感じで満面の笑みとともに身を捩じらす。そして5分後、イテー!とドヤ顔で再び僕を呼ぶ。褒める→身を捩じらす。この頃はそんなことの繰り返しである。

それにしてもなぜ褒められて欲しいのか?僕も人に褒めてもらうのは嬉しいから、自分が褒められたらなぜ嬉しいのかを考えればよいのだろうけれど、「褒められる」=「人より秀でている」→「女性にモテる」→「子孫をたくさん残せる」というくらいしか思いつかない。


まあとにかく、こんな2歳児でも褒めてもらうことを快感に感じているということが、面白いなと思っただけです、ハイ。
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by beerman7 | 2012-03-26 18:47 | HAL・HANA
ここしばらく仕事が忙しく、チュアンさんとは会えない日々が続いていたが、彼からフッとメールが来た。なんだか子供のお絵かきのような青写真ではあるが、みなさんからお預かりした募金の残り、150,000バーツの使い道は、タンボン・ポサムハン村へ2台の浄水設備を設置することに使わせてもらおうと思います。
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次回の洪水のことを考えるともう少しかさ上げした方がいいんじゃないか、鉄の架台は溶融亜鉛メッキ仕上げにした方がいいんじゃないか、樹脂フィルターのメンテナンスは誰がやるのか、記念の看板に3,000バーツは使いすぎじゃないか、等々いろいろ突っ込みどころはあるものの、洪水支援として集めた募金の使い道としては僕は大賛成です。


150枚の1,000バーツなんてもちろん初めて見たけれど、結構な迫力!近いうちにチュアンさんに手渡してこようと思います。みんな、どうもありがとうね!
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独身の頃と比べると、僕の生活パターンはかなり変わった。昔は飲み会があれば呼ばれなくても出席していたし、週末のゴルフその他の誘いも基本的に断らずダブルブッキングしてでも両方に顔を出してしまうような、とにかくいろんなところに顔を出すことに命をかけていたようなところがある。ところが今は、家族と、とりわけ息子と、時間を一緒に過ごしたいので、飲み会は必要最低限未満、写真以外のことで週末に家を空けることはなくなった。実は、できれば仕事もあまりしたくない(笑)。息子と遊んでいたいからだ。そのくらい、今の時間は貴重でかけがえのないものだと感じている。

ところで男は大抵「デキる男」になりたいと思っている。それこそが人生最大の幸せだと思っている。もちろんデキる男になった結果たくさんお金を稼げば、将来に対して安心できるしおいしいお酒を飲めるしすごいと褒められるし、いろいろいいことがありそうだ。ただ(内輪ネタで申し訳ないけれど)Yuikoと話している限り、女性はデキる男よりも「いいお父さん」の方を求めているような気がするのだ。デキる男が女を幸せにできると思っているのは、どうも男の勘違いなようなのだ。そうすると、男の思う幸せと女の感じる幸せは違っている、ということになり、これはちゃんと話をしないと危ういことになってしまうかもしれない(笑)。

その両立ができればどちらも幸せなのかもしれないが、現実には僕のような並みの男の場合、残念ながら「デキる男」でかつ「いいお父さん」というのは不可能で、社会的にデキる男になるためには、家族との時間を犠牲にしなければならないし、またはデキる男になることを諦め、いいお父さん路線で生きていくしかない。背反するものではないが、時間的に無理だろうな、と思う。そしていつも悩むのだ。どっちで行こうか、と。ちなみに僕は、子供の寝顔を見て「おれはこいつらのために頑張っているんだ」と言っている人は、いいお父さんだとは認めない立場だ。お金を稼いでくることではなく、子供と一緒に時間を過ごすことこそが、子供にとって一番のことであると思っているからだ。だからそれは、デキる男がいいお父さんでありたいと思うが両立できずに単に自分を慰める為に吐いている言葉にしか聞こえない。

ちなみに最近の僕はといえば、いいお父さんでありたいと思っている。まあ、いいお父さんかどうかは自分が決めることではないので、あくまでただの言い回しとして理解して欲しいけど、いいお父さん的な時間を過ごしていることにこそ幸せを感じている。世の中の人がみんなそう思うようになったら、もう少しゆっくりした世の中のペースになると思うのだが、そうではないところを見ると、大抵の人はデキる男か、もしくはそれを目指して頑張っているということなのだ。では、デキる男になりたいという男の願望は、どこからやってくるのであろうか?「他人よりも優れていると認められる存在になりたい。そうすればたくさんの人とセックスができて、自分の子孫をいっぱい残せるから」という本能的なところから、そういう男の気持ちはきているのかな?


とにかく!だ。息子のHalは僕と遊んでいる時間をこの上なく楽しんでくれている。いずれ反抗期とか思春期とか、親離れする時期はやってくるだろう。だからこそ最高に可愛くて面白いこの時期に、それ以外のことに時間を使っている場合ではない、と強く思うのだ。
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by beerman7 | 2012-03-08 23:03 | 雑記
Time is money という言葉は何だろうか?例えば、遠くに出かけるときに新幹線に乗ってその移動時間を短縮した。でもその分お金がかかった。限られた時間の中で、自分が得たい満足のために、その手段として時間を買う、という例だ。つまり、時間を短縮するもの、便利なものにはお金を払う価値があり、ビジネスとして成立するということを意味している。

でも、僕が習ってきたその意味はちょっと違っていた。「時間は、お金ほどの価値を持つ。もしくはお金を生み出す可能性があるから、無駄にしてはいけない」。だって時間は全ての人に無償で平等に与えられるものだから・・・。

前者と後者での違いは、TimeとMoneyを比べてどちらのほうに価値の重きを置いているか、だ。後者は、お金のほうに絶対価値を求めている考え方だと思う。時間は、黙っていれば消費していく上に、失うことを自覚しにくいし、余ったからといって銀行に預けられるわけでもない。コントロールできない。でもお金のほうは、コントロール可能なひとつのエネルギーの形で、その量によって安心を得ることもできるかもしれない。もちろんそれは、貨幣経済が安定することが前提条件となるが・・・。ハイパーインフレが起これば、ただの紙クズだしね。

人々の行動は、お金に縛られている。就職するとき、安定しているという理由で会社を選ぶ人も多いだろう。会社が安定していれば、安定してお金を得られるからだ。お金を出して何かを購入したとき、その価値が出したお金にとどかないと思えば文句を言う。あるクレジット会社のCMでは、プライスレスというまやかしのコピーを使って、お金を使うことに理由を与えてたくさんお金を使わせようとする。日本に住んでいると、よくこういう言葉を耳にする。「最近流行っている」「みんな持っている」「遅れている」。「みんな」という集合から外れることが怖いのだ。雑誌でこの春のファッションはこれで決まり!と言われれば、それに従う。流行を追うだけのお金がなければ、そのために働いてしまう。ただそこには悲しいかな、自分の価値基準というものがない。

まず、メディアは営利企業だということを再認識する必要がある。企業が利益を上げるために自分のところの商品をいかに売るかということを考えるように、メディアはいかにスポンサーからお金をもらうかを考えているのは当たり前の話である。情報の公平性なんて、利益のためには後回しにされて当然。世の中に、新しい流行生み出すような情報を短いスパンで発信し続けることが、スポンサーのためでもあり、自分たちが利益を上げる手段でもあるはずだ。

ところが、メディアから情報を受け取る側は、そんなことは考えていない。なぜか、メディアから流れてくる情報には公平性があると思い込んでしまっている。テレビで人気があると言われれば、人気があるのだと思い込んでそこを疑ったりはしない。そして悲しい浪費を続ける。消費が増えなければ、GDPは成長しない。経済を維持するためには、消費を促さなければならない。無駄遣いをいっぱいさせねばならない。そう考れば、政府がメディアに介在することも想像に難くない。お金に縛られた国民にしてしまえばいいのだ。そのために不安を煽るような内容をメディアに流す。「ああ、今のままでは心配だ」と考える人が増えれば消費は進む。世論を操作するには、メディアはもっとも有効な手段だ。

インターネットはそうではない。受け取る側が確かな選別する力を持っていれば、これほどフェアな情報ソースはないと思う。そして既存メディアは、そういう意味でインターネットの情報に脅威を感じているはずだ。なぜなら自分たちの都合のいいように情報を操作しにくいからだ。あらゆる情報は、何かしらのしがらみを抱えていることを常に忘れてはいけない。見分けるコツは、その情報によって誰が得をするか、という視点だろう。


ところで、僕らは何のために生きているのだろうか?何のために生きるのかは、どんなふうに時間を使うのか、ということに繋がる。もしお金のほうに価値の重きを置いているならば、時間の使い道はお金のためということに集約されていくだろう。もし、お前は何のために生きているのか?と僕が問われたらならば・・・、今持っている答えは「死なないから生きている」である。パンチのない答えで申し訳ないけれど、本当にそう思っている。愛する妻のため、子供のために生きると言ってしまってもいいけど、それは大切にしたいことであって、目的とは違うものだと考えている。そんなふうに考えていたら、じゃあ死なない程度にお金を稼げばいいじゃん、という考えになってしまった。

そんな考えに至ったのは、タイで過ごした6年間で見たものが影響していると思う。タイは貧富の差の激しい国だ。世界長者番付に載るような人もいれば、1日数ドルで生活している人もいる。けれども、貧しい人たちが決して不幸そうに見えない。もちろん貧困層は裕福になりたいと考えているだろうし、日々の生活は困窮しているだろう。でも不幸そうに見えない。そんなところがタイという国の空気を作っていると思うし、僕自身がタイを好きな理由でもある。タイの王様はこう言っているらしい。「お金は、そこそこあればいいのです。それよりも毎日の生活の幸せをしっかりと見つめて、お金に振り回されないようにしなさい」。すごいなあ、と思う。真理だと思う。

僕は、タイで建設会社の駐在員として働いているが、果たして僕らの仕事はタイの人たちを幸せにするのだろうか、ということをときどき考える。外資系の工場を作り、ビルを建て、確かにタイという国は経済的に発展するかもしれない。でもそれは本当に幸せに繋がることなのだろうか。幸せの基準を「お金を得ること」だとすれば、僕らはその一助になりえる。でも本当の豊かさは、やっぱりお金ではないと思うのだ。

毎日、子供と夕食の食卓を囲むこともなく、残業して疲れて帰って、チンした夕食をかきこむ日本のお父さんたち。愛する子供の寝顔を見て、俺はこいつらのために頑張っているのだ!と歯を食いしばったところで、子供が本当に必要としているのは、生でお父さんと触れ合う時間である。子供のためを思うなら、一緒に過ごす時間を増やしたほうがよっぽど幸せなのである。でも「みんな」がそうしているから、自分だけそうしないわけには行かない。経済が成長したひとつの結果として、大事なものを犠牲にしていないか?

タイという国には、僕はそうなって欲しくないと願うのだ。だから自分たちがしている仕事自体に疑問を感じるようになってしまった。それからもうひとつ。お金に振り回されることはもう止めてしまおう、というのが最近の気分である。まあそうは言っても安心はやっぱり欲しくなるんだけどね・・・(笑)。
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by beerman7 | 2012-03-01 17:35 | 雑記