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カテゴリ:拾い言葉( 27 )

「自信がないとかあるとか、言ってられない」
そういう経験をしているうちに、自分が変わったんです。
自信ある、とか、自信ない、とか、ほんとに、どうでもいいことなんですよね。
いい結果がだせたら、自信がなかったとしてもオッケーだし、
いくら自信があっても、結果が出せなきゃ稼げない。
意味がないんです、自信なんて。

『今日のダーリン』より


いやー、こっちでの仕事は正直しんどいです。カール・ルイスと100m走してるくらい、実力差がある。こういうときは、自分に仕事が向いてないのかなあなんて、半分いい訳みたいなことを考えちゃいがちです。そんなときに目に留まった言葉。環境が変わるといろんなインプットが変わるから、考えることが変わったり考え方が変わったりするから響く言葉も変わってくるもんだね。
欠点だらけでも、それをやってる理由があれば、
それは何かのおみやげをこっちにくれますよね。
お互いにおみやげを持ちあって、何をもらったかはわからないけど、
何かを渡しあったよねえ、みたいな、ぼくが人に会うのが好きなのは、そこですよね。

糸井重里さんが「沼澤さんとタカタカタカ。」の中で>


ぼくが何かを渡せてるかはわからないけど、
たくさんの人と出会うなかで結果的に友達として今でもつながっている人は、
何かをくれる、そういう人ばかり。
そういう友達がいるって、すごく幸せなことなんだなあ。
次のハードルが高ければ、
ようやく、この高さに、
現実感をもってであえるようになったか、と、楽しんでやろう。
いまは、この次、自分のどんな課題がすっきり見えてくるか、楽しみでさえある。
あなたは今、次なる、どんな山を見ているのだろう?

『おとなの小論文教室。』より


ぼくのまわりにいる友達は、自分でハードルを置く能力に優れた人ばかりだなあ。
おいらも頑張ろうっと。
ひとつ石を置いてあげることによって、
ものすごく誰でも登りやすくなる場所があれば、
そこに石を置いてあげることがデザインですよね。

<デザイナーの佐藤卓さんが『感心力がビジネスを変える!』の中で>


ナメられたくないから“つい”高いところに置こうとしちゃいがちだよ、おれ。
でも、高いとこに置いたつもりが相手にとっては低すぎて打ちのめされたりもするよ、おれ。
一見、聖人君子っぽい偉い人も、
最終的にムーブメントを起こす理由の大半は、
「モテたい」らしいと。

『糸井重里500分』の中で


なにか楽になるなあ。
みんなが今したい仕事は、いわゆる、キャリアアップとか、
スキルアップとかでなはいですよね。
そう・・・・、なんかこう、「もっと、のめりこみたい」っていうか。
情熱を傾けたいっていうような、
すっごく、青臭いココロで働いていますよね。

糸井重里さんが「チームプレイ論。」の中で


そうなりたくって、環境を変えようと活動してます。
みなさんは、会社に対して、「時間」を売っていますか、
それとも「仕事」を売っていますか?
こんなじぶんへの問いかけが、
じぶんの仕事のクリエイティブ度を図ることなのかもしれません。

感心力がビジネスを変える!


雇われてる側だとどうしても時間を売るって感覚になっちゃうよなあ。
それから「仕事」を売るって感覚を持つためには、
自分の仕事の市場価格を知るってのも大事かもねえ。
オレはいったいいくらなんだ?
昨夜、立川志の輔さんの下北沢の舞台を観てきてですね、
思ったのですよ、あらためて。
自分のやっていることに「飽きる」というのは力なんだと!
うまくできていることにさえ飽きるから、こそ、
失敗さえも覚悟して冒険に飛び込んでいけるわけです。
「飽き力」が生き生きした日々をつくるんじゃないか、と。
そういう感動があったです。

『今日のダーリン』より


おれっち飽きっぽいから、ひとつのことにハマる!ってことがなくて、
そんな性格を憂いていたんだけど、「飽き力」って言われるとちょっと嬉しいなあ。
ところで今日空手を退会しました。引っ越してから、道場まで少し遠くってね。
顔面と肋骨の骨折はいい思い出です。
左顔面の神経も切れたから左のほうが少しだけ表情が鈍いのですよ。
気づいた?
「映画を撮る理由は、移ろっているからうまく言えないけど、
ギリギリ言えるのは“ほめてもらいたい”ということ。
自分が作った物語を、見た人に共有してもらいたい。
自分を知ってほしいということですね。
それは自分が何者かを知りたいという裏返しだと思うんです。」

<崔洋一さんがR25のインタビューの中で>


人の存在があって自分を感じる。
昔は何かをするときにそういうふうに思うことって
動機が不純なんじゃない?って思っていたけれど、
(同居人だったムラさんにも言ってたな)
今は人に伝わったときが一番気持ちのいい瞬間だねえ。
むしろそれが目的で、何かは手段でいいとさえ思ってるねえ。
ただ単に、「禁止」している言葉って、おもしろくないですよね。
学校でもね、これは汚してはよくないとか、この塀から超えてはいけないとか、
あるいはスカートがこれより短いとよくないとか、みんな「ドント」ばかりでしょう?
それを私はね、レッツドゥーに変えようと思ったの。
ですから、「人を傷つけるな」ではなく「人の命を助けましょう」だとか、
そういう風にね。

日野原重明さんが『93』の中で


自分自身のことでも同じで、
「ドント」が増えたらつまらない人生になっちゃう気がする。
自分の中の「レッツドゥー」をじゃんじゃん増やして
可能な限り実行していきたいもんです。