カテゴリ:雑記( 102 )

品川駅を降りて、会社に向かう途中であるフリーペーパーを配っていた。タイトルは「年収と家(だったかな?)」。要はあなたの年収の人はこのくらいの物件を購入しているからあなたも買いなさいよ、というような内容(と思われる…)。日本って、こういう型のお仕着せ的な記事が多いなあと思いながらその冊子は受け取らずに通り過ぎたのだけれど、そういう記事を望む人もいれば、売る側の戦略もあるのだろう。

日本に帰って来てからというもの、広告の売り文句や意識の中に、将来への不安や備えといった類のニュアンスが含まれていることがすごく多いな、と感じている。保険にお金を使うのもひとつの投資だけど、投資の意識はおそらくあまりない。

安心にも蓄えにもならない消費に対して財布の紐が固くなっているのは、そういった安心を売りにする脅し広告がひとつの要因にも思える。安心が商品として大手を振れるということは、消えてなくなってしまうものよりも優先順位が高くなっているということだからだ。

それにしても人間は不安と安心が好きだ。保険というのは、将来への不安に対して安心を得るためにエネルギー(お金)を注ぐ。広げて考えてみると、旅というのも共通する部分があるかもしれない。知らない土地で行動するとき、まず寝るところを確保して、次に食べ物を確保する。そこが安心できて初めて外に目が向くようになる。不安だった部分を安心に変えることが、旅のひとつの楽しみであり、自分の中の安心の地図を拡げていくことが旅なのかもしれない。

保険も旅も、基本的に根っこの部分ではなんか似ているな、と思った次第。どっちも不安が大好きなんだ。その不安のボールを人に預けるか、自分で転がすかの違いはあるけれど。
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by beerman7 | 2013-04-23 12:16 | 雑記
今、単身赴任をしているので、終末のみ家族の住む静岡に帰るという生活が続いている。

ところで、EX予約は大変に便利。インターネットを通じて、指定席が予約できてしまううえに、割引もあるので、自由席よりも安い。乗る新幹線も空いていれば手数料なしで変更し放題。ただし年会費が1,000円かかってしまう。

ということで、指定席に乗ることが増えたわけだけど、昔パソコンなどか発達していなかった時代はどのように指定席の管理をしていたのだろうか?と、調べてみると、センターとなる場所で台帳で一元管理していたというから驚きだ。指定席が多い列車になると、主要停車駅に指定席が割り当てられ、センターの指定席にはその分は含まれない。主要停車駅の台帳がいっぱいになるとセンターに連絡し、そちらの空席を確保するという手順を取っていたらしい。

けど、例えば東京~名古屋に走る列車を東京~静岡まで乗車した人がいた場合に、静岡~名古屋は空席となるが、そうやってできた空席を有効活用できていたかどうかは疑問である。

現在は、1960年頃に開発されたマルスというシステムで効率よく運用されているようだ。
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by beerman7 | 2013-04-18 16:35 | 雑記
最近話題になるどちらも、とても不自然さを感じる。ここ最近の必要以上な扱いがなんだか胡散臭いのだ。

在日の方たちの存在についてどうこういう前に、そもそも日本国民であるということはどういうことか、ということをまず初めに考える必要があると思う。僕は、政府と国民が共生の関係にあることが、第一条件だと思う。政府が国家を維持するために国民から税金を徴収し運営する。

その関係が崩れている状態、例えば生活保護の不正受給者なんてのははっきり言って非国民である。(生活保護自体は、弱者保護のために存在すべきだし、日本国のためにもなっていると思う)税金を納めない人も非国民である。国にとってただのお荷物だ。

一部で騒がれている外国人への生活保護の支給や、高校の無償化なども、日本国民としての条件を満たしていればあげればいいじゃないかと思う。反対に日本国籍を持っている日本人だとしても、条件を満たさないのであれば取り上げてしまうべきと思う。

そういう関係にあるべきだし、そういう契約なのだ。とは言っても、僕らとしては契約した覚えはないし、国の方も日本に生まれてきちゃった人たちを端から端までケアしなくちゃならないから大変なのだ。

とはいえ、仏像を盗んでおいて返さない韓国という国は大嫌いである。けどそれが個人に感情が向いちゃうのはただの差別だから、それはよくないよ。

その辺りのもめ事を解消するためにも、国民であることとはとういうことなのかをそろそろちゃんと定義と整理をするときに来ているのではないかと思う。


貴方は日本人として認定されませんでした!なーんて言われたりして…。
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by beerman7 | 2013-04-18 16:22 | 雑記
自動車の教習所に通って、学科試験の勉強中のYuikoが昨日聞いてきた。
「勾配の急な坂道は徐行しなければならない、○か ×か?」
「現実、徐行じゃないと危ないし、○なんじゃない?」と答えた。
「ブッブゥ~!答えは ×です」 「道路交通法では、勾配の急な下り坂は徐行しなければならないけど、勾配の急な上り坂については特に規定がないから、なんだって。おかしいと思わない?この問題作った人、絶対頭おかしいよ!私、論破する自信があるもん」

確かにおかしいし、けどそういうひっかけ問題にぶち当たるたびにいちいち憤慨している人もめずらしいなあ、と思って見ている。どんなに正しくても合格しなければ免許はもらえないのだから。けど、確かに彼女が憤慨するのももっともだ。こんな試験では、本質的なことを学ぶことは難しい。どちらかというと、課した課題を正確にさばく能力を試しているような気がする。これじゃあ事故は減らない。では何が本質的で効果的なのか、というのもまた難しい話だけれど、しかしこの学科試験に日本の縮図が凝縮されているような気もする。

ところで僕が日本に帰ってきてからの仕事といえば、スタートとゴールを決められてひたすらそのレールの上を黙々と走るような種類のことをしている。あまり考える必要はない。こなすだけだ。これって運転免許の学科試験とか、大学受験とかと似てないか?と思ったわけだ。つまり、大学受験をこなす要領の良さを持った人間は、サラリーマンとして働くことに見合った人材とも言える。大学受験をひと括りにするのも乱暴だけど、サラリーマンとして働いていると、大学名で採用を決めるのもあながち間違いではないなと思えてくる。

最近は、個人のモチベーションを上げて、働く満足度を上げようといろんな企業が頑張っているのだろうが、経営側の視点からすれば、自分で考えて動かれるよりも、正確なマシーンとなって働いてくれる人もある程度は必要である。マシーンたちは考えないほうが都合がいいわけである。マシーンたちが考えることを奪うために、給料だったり、福利厚生だったりのアメを与えるわけだ。もしくはあたかも満足を得ているかのように洗脳をしてしまうとか…。

もっとも世の中の教育が変わって、みんなが実業家になったり、芸術家になったりしてしまったら、国として成り立たないわけで、内需を期待する意味でもやっぱり働きアリは相当数必要になるから、とんがったところでの国際競争力云々を考えなければ、それはそれで都合がよかったりもするのだろうな…。
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by beerman7 | 2012-11-25 09:05 | 雑記
最初に断わっておくけれど、僕はどちらかというと原発容認の立場だ。今の日本の電力供給を賄う他の方法を提案できるわけではないし、化石燃料をばんばん燃やす方法がいいとも思えないし、ましてや自分が電気を使うことを止めることもできないからだ。今もエアコンで部屋を冷やしながら、このブログを書いている。

最近の原発反対ムードをタイから無責任に眺めていて思うのは、子どもの将来とか、地球の未来とか、きれいごとっぽい言葉を並べて反対をするならば、化石燃料を燃やすことを前提とした企業活動をしているTOYOTAという会社に対してはなぜ誰も何も言わないのか、ということだ。原発は事故が発生した時、被害が短時間で広がるから分かりやすいが、100年かけて地球をじわじわと温める行為や、車を運転することで発生する事故が不幸を生むことなんかには、何も思わないし、何も言わない。運転しているのが自分たちだから自己責任?それはフェアではないよ。子どもの将来とか、地球の未来を考えるんだったら、なくなった方がいいじゃないか!

別にTOYOTAという会社だけじゃないね。資本主義の元の企業活動は、そういう意味ではほとんど悪なんじゃないか?もう少し長い時間軸で考えた方がいいと思うんだが、オレがバカなのか?


ちょっと考えさせられるウルグアイの大統領のスピーチ

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by beerman7 | 2012-08-14 22:33 | 雑記
9月末にタイから日本への帰任が決まったので、我が家ではラストスパート・キャンペーンを実施中である。6月にはイタリア人の友達エロスが住むプーケット島に行ってきたし、7月はYuikoが愛して止まない土地カンチャナブリに泊まってきた。最近狂ったようにサッカーを撮っているのも、そのキャンペーンの一環である。

さて、今週末は3泊4日でネパールへ。Hanaにとっては初めての海外。日本にも行ったことないのにね(笑)。Halは、マレーシア、カンボジア、ミャンマーと来て4カ国目。2歳半にしてなかなかの経験値である。

僕は、1997年にチベットからヒマラヤを越えて訪れたことがある。その時のことで覚えていることは、タメル地区に泊まったこと。「ふるさと」と「味のシルクロード」という日本食堂によく通ったこと。そこの定食が200Rsだったこと。その店に置いてあった新聞で、安室奈美恵の結婚を知ったこと。ダルバール広場、スワヤンプナート、ボダナートを訪れたこと。日本食材屋を発見し冷凍の梅干を買ったこと。木工用ボンドの臭いがする男からマリファナを買ったこと。モモという蒸餃子のような料理を食べたこと。香辛料を船便で日本に送ったら中身がほとんど抜き取られていて、1万円ほどの送料を無駄にしたこと。出てくるのは、そんなところだ。


今回、昔の記憶と重なることがあるのかどうか、それがすごく楽しみである。
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by beerman7 | 2012-08-10 10:15 | 雑記
日本は生レバーが禁止になったと聞いて驚いた。なんで他人の食うものに口出すんだろう?と思った。そんなの国が決めることなんだろうか?というかまあ、本当は、そういうことを決めてあげないと自分たちで問題を解決できない日本人のレベルの低さが、そんなへんちくりんな決まりを作らせた原因なのだと思う。

日本の工業製品がよくできてたり考えられたりしていることはすごく素晴らしいことで、それは作る側が使う側のことをとことん考えて作った結晶でもあるし、使った人が使いづらいから何とかしろ!と文句を言った結果かもしれない。いずれにしても、消費者を第一に考えた結果だと思う。「お客様は神様」という考え方。間違ってはいないけど、今の日本はそのお客様が強すぎて度が過ぎていて、企業側もそれに応えなきゃいけないって思い込んでいるから、それが捻くれて捩れて、生レバー禁止みたいな変な方向に行ってしまうのだと思う。気に入らねえなら帰ってくれ!って、売る側だって本当は言いたいときもあるだろうし、そのくらいでいいと思うんだ。売る側と買う側が対等であってもおかしくないよ。

タイという国は、そういう意味で面白いと思う。いいものも悪いものも、まぜこぜで売られている。必要なのは買う側が判断する眼だ。悪いものをつかまされても、それは買う側にも半分は責任があるから仕方ない、という暗黙知があるような気がする。別の言い方をすれば、グレーな部分が社会にまだいっぱい残っている。これを未成熟と言うこともできるけど、じゃあ社会が成熟して生レバーが禁止になったほうが人は幸せなのか?

グレーな部分をグレーのままにしておくためには、大人が大人じゃなければいけないんだ。子どもな大人は基準がないと行動できないから決まりを欲しがる。シロクロつけたがる。でもそれで機会を損失していることに気付かない。


それでいいんならいいけど、もうちょっとどうにかならないものだろうか、こどもの国、日本。
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by beerman7 | 2012-07-25 19:06 | 雑記
言葉遊びみたいなもんなんだけど・・・、
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ライフ・ワーク (人生の仕事)
ワイフ・ワーク (妻に捧げる仕事)
ライク・ワーク (趣味的仕事)
ライス・ワーク (飯を食うための仕事)



おもしろいな、と思ってね。
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by beerman7 | 2012-04-22 09:31 | 雑記
独身の頃と比べると、僕の生活パターンはかなり変わった。昔は飲み会があれば呼ばれなくても出席していたし、週末のゴルフその他の誘いも基本的に断らずダブルブッキングしてでも両方に顔を出してしまうような、とにかくいろんなところに顔を出すことに命をかけていたようなところがある。ところが今は、家族と、とりわけ息子と、時間を一緒に過ごしたいので、飲み会は必要最低限未満、写真以外のことで週末に家を空けることはなくなった。実は、できれば仕事もあまりしたくない(笑)。息子と遊んでいたいからだ。そのくらい、今の時間は貴重でかけがえのないものだと感じている。

ところで男は大抵「デキる男」になりたいと思っている。それこそが人生最大の幸せだと思っている。もちろんデキる男になった結果たくさんお金を稼げば、将来に対して安心できるしおいしいお酒を飲めるしすごいと褒められるし、いろいろいいことがありそうだ。ただ(内輪ネタで申し訳ないけれど)Yuikoと話している限り、女性はデキる男よりも「いいお父さん」の方を求めているような気がするのだ。デキる男が女を幸せにできると思っているのは、どうも男の勘違いなようなのだ。そうすると、男の思う幸せと女の感じる幸せは違っている、ということになり、これはちゃんと話をしないと危ういことになってしまうかもしれない(笑)。

その両立ができればどちらも幸せなのかもしれないが、現実には僕のような並みの男の場合、残念ながら「デキる男」でかつ「いいお父さん」というのは不可能で、社会的にデキる男になるためには、家族との時間を犠牲にしなければならないし、またはデキる男になることを諦め、いいお父さん路線で生きていくしかない。背反するものではないが、時間的に無理だろうな、と思う。そしていつも悩むのだ。どっちで行こうか、と。ちなみに僕は、子供の寝顔を見て「おれはこいつらのために頑張っているんだ」と言っている人は、いいお父さんだとは認めない立場だ。お金を稼いでくることではなく、子供と一緒に時間を過ごすことこそが、子供にとって一番のことであると思っているからだ。だからそれは、デキる男がいいお父さんでありたいと思うが両立できずに単に自分を慰める為に吐いている言葉にしか聞こえない。

ちなみに最近の僕はといえば、いいお父さんでありたいと思っている。まあ、いいお父さんかどうかは自分が決めることではないので、あくまでただの言い回しとして理解して欲しいけど、いいお父さん的な時間を過ごしていることにこそ幸せを感じている。世の中の人がみんなそう思うようになったら、もう少しゆっくりした世の中のペースになると思うのだが、そうではないところを見ると、大抵の人はデキる男か、もしくはそれを目指して頑張っているということなのだ。では、デキる男になりたいという男の願望は、どこからやってくるのであろうか?「他人よりも優れていると認められる存在になりたい。そうすればたくさんの人とセックスができて、自分の子孫をいっぱい残せるから」という本能的なところから、そういう男の気持ちはきているのかな?


とにかく!だ。息子のHalは僕と遊んでいる時間をこの上なく楽しんでくれている。いずれ反抗期とか思春期とか、親離れする時期はやってくるだろう。だからこそ最高に可愛くて面白いこの時期に、それ以外のことに時間を使っている場合ではない、と強く思うのだ。
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by beerman7 | 2012-03-08 23:03 | 雑記
Time is money という言葉は何だろうか?例えば、遠くに出かけるときに新幹線に乗ってその移動時間を短縮した。でもその分お金がかかった。限られた時間の中で、自分が得たい満足のために、その手段として時間を買う、という例だ。つまり、時間を短縮するもの、便利なものにはお金を払う価値があり、ビジネスとして成立するということを意味している。

でも、僕が習ってきたその意味はちょっと違っていた。「時間は、お金ほどの価値を持つ。もしくはお金を生み出す可能性があるから、無駄にしてはいけない」。だって時間は全ての人に無償で平等に与えられるものだから・・・。

前者と後者での違いは、TimeとMoneyを比べてどちらのほうに価値の重きを置いているか、だ。後者は、お金のほうに絶対価値を求めている考え方だと思う。時間は、黙っていれば消費していく上に、失うことを自覚しにくいし、余ったからといって銀行に預けられるわけでもない。コントロールできない。でもお金のほうは、コントロール可能なひとつのエネルギーの形で、その量によって安心を得ることもできるかもしれない。もちろんそれは、貨幣経済が安定することが前提条件となるが・・・。ハイパーインフレが起これば、ただの紙クズだしね。

人々の行動は、お金に縛られている。就職するとき、安定しているという理由で会社を選ぶ人も多いだろう。会社が安定していれば、安定してお金を得られるからだ。お金を出して何かを購入したとき、その価値が出したお金にとどかないと思えば文句を言う。あるクレジット会社のCMでは、プライスレスというまやかしのコピーを使って、お金を使うことに理由を与えてたくさんお金を使わせようとする。日本に住んでいると、よくこういう言葉を耳にする。「最近流行っている」「みんな持っている」「遅れている」。「みんな」という集合から外れることが怖いのだ。雑誌でこの春のファッションはこれで決まり!と言われれば、それに従う。流行を追うだけのお金がなければ、そのために働いてしまう。ただそこには悲しいかな、自分の価値基準というものがない。

まず、メディアは営利企業だということを再認識する必要がある。企業が利益を上げるために自分のところの商品をいかに売るかということを考えるように、メディアはいかにスポンサーからお金をもらうかを考えているのは当たり前の話である。情報の公平性なんて、利益のためには後回しにされて当然。世の中に、新しい流行生み出すような情報を短いスパンで発信し続けることが、スポンサーのためでもあり、自分たちが利益を上げる手段でもあるはずだ。

ところが、メディアから情報を受け取る側は、そんなことは考えていない。なぜか、メディアから流れてくる情報には公平性があると思い込んでしまっている。テレビで人気があると言われれば、人気があるのだと思い込んでそこを疑ったりはしない。そして悲しい浪費を続ける。消費が増えなければ、GDPは成長しない。経済を維持するためには、消費を促さなければならない。無駄遣いをいっぱいさせねばならない。そう考れば、政府がメディアに介在することも想像に難くない。お金に縛られた国民にしてしまえばいいのだ。そのために不安を煽るような内容をメディアに流す。「ああ、今のままでは心配だ」と考える人が増えれば消費は進む。世論を操作するには、メディアはもっとも有効な手段だ。

インターネットはそうではない。受け取る側が確かな選別する力を持っていれば、これほどフェアな情報ソースはないと思う。そして既存メディアは、そういう意味でインターネットの情報に脅威を感じているはずだ。なぜなら自分たちの都合のいいように情報を操作しにくいからだ。あらゆる情報は、何かしらのしがらみを抱えていることを常に忘れてはいけない。見分けるコツは、その情報によって誰が得をするか、という視点だろう。


ところで、僕らは何のために生きているのだろうか?何のために生きるのかは、どんなふうに時間を使うのか、ということに繋がる。もしお金のほうに価値の重きを置いているならば、時間の使い道はお金のためということに集約されていくだろう。もし、お前は何のために生きているのか?と僕が問われたらならば・・・、今持っている答えは「死なないから生きている」である。パンチのない答えで申し訳ないけれど、本当にそう思っている。愛する妻のため、子供のために生きると言ってしまってもいいけど、それは大切にしたいことであって、目的とは違うものだと考えている。そんなふうに考えていたら、じゃあ死なない程度にお金を稼げばいいじゃん、という考えになってしまった。

そんな考えに至ったのは、タイで過ごした6年間で見たものが影響していると思う。タイは貧富の差の激しい国だ。世界長者番付に載るような人もいれば、1日数ドルで生活している人もいる。けれども、貧しい人たちが決して不幸そうに見えない。もちろん貧困層は裕福になりたいと考えているだろうし、日々の生活は困窮しているだろう。でも不幸そうに見えない。そんなところがタイという国の空気を作っていると思うし、僕自身がタイを好きな理由でもある。タイの王様はこう言っているらしい。「お金は、そこそこあればいいのです。それよりも毎日の生活の幸せをしっかりと見つめて、お金に振り回されないようにしなさい」。すごいなあ、と思う。真理だと思う。

僕は、タイで建設会社の駐在員として働いているが、果たして僕らの仕事はタイの人たちを幸せにするのだろうか、ということをときどき考える。外資系の工場を作り、ビルを建て、確かにタイという国は経済的に発展するかもしれない。でもそれは本当に幸せに繋がることなのだろうか。幸せの基準を「お金を得ること」だとすれば、僕らはその一助になりえる。でも本当の豊かさは、やっぱりお金ではないと思うのだ。

毎日、子供と夕食の食卓を囲むこともなく、残業して疲れて帰って、チンした夕食をかきこむ日本のお父さんたち。愛する子供の寝顔を見て、俺はこいつらのために頑張っているのだ!と歯を食いしばったところで、子供が本当に必要としているのは、生でお父さんと触れ合う時間である。子供のためを思うなら、一緒に過ごす時間を増やしたほうがよっぽど幸せなのである。でも「みんな」がそうしているから、自分だけそうしないわけには行かない。経済が成長したひとつの結果として、大事なものを犠牲にしていないか?

タイという国には、僕はそうなって欲しくないと願うのだ。だから自分たちがしている仕事自体に疑問を感じるようになってしまった。それからもうひとつ。お金に振り回されることはもう止めてしまおう、というのが最近の気分である。まあそうは言っても安心はやっぱり欲しくなるんだけどね・・・(笑)。
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by beerman7 | 2012-03-01 17:35 | 雑記