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インド旅行記 その6


君はもうやってしまったか?('95.8.3)

食事を終えてその日本人と別れて、公衆電話から日本へ電話をかけることにした。“ISD”というサインが電話屋のことらしい。通りにいくつも木製有人電話ボックス(防犯のためか必ず人が横にいる)があり、International=60Rs/min(当時1Rs=3.4円)とボックスの窓ガラスにペンキで書かれていた。外から見えるように内側から逆文字で書いてあるのだが、そのせいでサインがにょろにょろとヘンテコになっていて微笑ましい。“こくサいでんワ”などと書かれているものもあり、その辺りのいい加減さがまたインドらしさでもある。

出発前にいろいろと心配をしていた母親に電話をかけた。出発の前の日などは今生の別れとも言わんばかりの心配振りであった。
受話器を取り、実家に電話をかけると母親が出た。「あー、おれだけど。おー、なんか周りが全部印度人でおもしれーぞ。うー、まあ湿気が高くてさすがに暑いなあ。まだ、昨日着いたばかりだから体は大丈夫だ。金がないからもう切るぞ、電話代高いんだよ。じゃーな」
高いお金を払った割には、まぬけな会話だけして180Rsを支払った。母親も涙ながらに送り出したものの、昨日と大して変わらぬ息子の様子に拍子抜けしていたようであった。

まだ飛行機の疲れが少し残っていたので街を散策するのはやめにして、次の目的地であるアグラ行きのバスチケットだけを予約して宿に戻った。日が傾いて夕方に差しかかった宿の屋上に上がると、昨日一緒だった日本人や、もう何泊もしているらしき日本人が輪になって話しをしていたので「どうもこんばんは」と言いつつそれに加えてもらう。場は『君はもうやってしまったか』の論議に花が咲いていた。何のことかというと大便後肛門残留付着物印度式処理を経験したかどうかの話だ。“そんなことできる訳がない派”と“もうウォシュレットなどいらない派”に別れてなかなか白熱した展開になっていた。

ここでひとつ解説を加えよう。ヒンドゥー教のインドでは、右手は浄の手、左手は不浄の手とされている。右手がお釈迦様を意味し、左手が人間たちを表すのだという。座禅をしたときその組座の上で手を重ね、親指をくっつけるそのポーズは人間がお釈迦様を支えている象徴だと教わった。話は一気に転落するが、飯を食うのは右手、ケツを拭くのは左手なのである。つまり大便後肛門残留付着物印度式処理とは大量でないにしても、水でうまく流しながら直接左手でウンチを拭い取る行為のことを言うのである。ボクは“まだ経験無しの中立派”として話しに参加しているとそのうち屁をコキたくなってきた。