Time is...

Time is money という言葉は何だろうか?例えば、遠くに出かけるときに新幹線に乗ってその移動時間を短縮した。でもその分お金がかかった。限られた時間の中で、自分が得たい満足のために、その手段として時間を買う、という例だ。つまり、時間を短縮するもの、便利なものにはお金を払う価値があり、ビジネスとして成立するということを意味している。

でも、僕が習ってきたその意味はちょっと違っていた。「時間は、お金ほどの価値を持つ。もしくはお金を生み出す可能性があるから、無駄にしてはいけない」。だって時間は全ての人に無償で平等に与えられるものだから・・・。

前者と後者での違いは、TimeとMoneyを比べてどちらのほうに価値の重きを置いているか、だ。後者は、お金のほうに絶対価値を求めている考え方だと思う。時間は、黙っていれば消費していく上に、失うことを自覚しにくいし、余ったからといって銀行に預けられるわけでもない。コントロールできない。でもお金のほうは、コントロール可能なひとつのエネルギーの形で、その量によって安心を得ることもできるかもしれない。もちろんそれは、貨幣経済が安定することが前提条件となるが・・・。ハイパーインフレが起これば、ただの紙クズだしね。

人々の行動は、お金に縛られている。就職するとき、安定しているという理由で会社を選ぶ人も多いだろう。会社が安定していれば、安定してお金を得られるからだ。お金を出して何かを購入したとき、その価値が出したお金にとどかないと思えば文句を言う。あるクレジット会社のCMでは、プライスレスというまやかしのコピーを使って、お金を使うことに理由を与えてたくさんお金を使わせようとする。日本に住んでいると、よくこういう言葉を耳にする。「最近流行っている」「みんな持っている」「遅れている」。「みんな」という集合から外れることが怖いのだ。雑誌でこの春のファッションはこれで決まり!と言われれば、それに従う。流行を追うだけのお金がなければ、そのために働いてしまう。ただそこには悲しいかな、自分の価値基準というものがない。

まず、メディアは営利企業だということを再認識する必要がある。企業が利益を上げるために自分のところの商品をいかに売るかということを考えるように、メディアはいかにスポンサーからお金をもらうかを考えているのは当たり前の話である。情報の公平性なんて、利益のためには後回しにされて当然。世の中に、新しい流行生み出すような情報を短いスパンで発信し続けることが、スポンサーのためでもあり、自分たちが利益を上げる手段でもあるはずだ。

ところが、メディアから情報を受け取る側は、そんなことは考えていない。なぜか、メディアから流れてくる情報には公平性があると思い込んでしまっている。テレビで人気があると言われれば、人気があるのだと思い込んでそこを疑ったりはしない。そして悲しい浪費を続ける。消費が増えなければ、GDPは成長しない。経済を維持するためには、消費を促さなければならない。無駄遣いをいっぱいさせねばならない。そう考れば、政府がメディアに介在することも想像に難くない。お金に縛られた国民にしてしまえばいいのだ。そのために不安を煽るような内容をメディアに流す。「ああ、今のままでは心配だ」と考える人が増えれば消費は進む。世論を操作するには、メディアはもっとも有効な手段だ。

インターネットはそうではない。受け取る側が確かな選別する力を持っていれば、これほどフェアな情報ソースはないと思う。そして既存メディアは、そういう意味でインターネットの情報に脅威を感じているはずだ。なぜなら自分たちの都合のいいように情報を操作しにくいからだ。あらゆる情報は、何かしらのしがらみを抱えていることを常に忘れてはいけない。見分けるコツは、その情報によって誰が得をするか、という視点だろう。


ところで、僕らは何のために生きているのだろうか?何のために生きるのかは、どんなふうに時間を使うのか、ということに繋がる。もしお金のほうに価値の重きを置いているならば、時間の使い道はお金のためということに集約されていくだろう。もし、お前は何のために生きているのか?と僕が問われたらならば・・・、今持っている答えは「死なないから生きている」である。パンチのない答えで申し訳ないけれど、本当にそう思っている。愛する妻のため、子供のために生きると言ってしまってもいいけど、それは大切にしたいことであって、目的とは違うものだと考えている。そんなふうに考えていたら、じゃあ死なない程度にお金を稼げばいいじゃん、という考えになってしまった。

そんな考えに至ったのは、タイで過ごした6年間で見たものが影響していると思う。タイは貧富の差の激しい国だ。世界長者番付に載るような人もいれば、1日数ドルで生活している人もいる。けれども、貧しい人たちが決して不幸そうに見えない。もちろん貧困層は裕福になりたいと考えているだろうし、日々の生活は困窮しているだろう。でも不幸そうに見えない。そんなところがタイという国の空気を作っていると思うし、僕自身がタイを好きな理由でもある。タイの王様はこう言っているらしい。「お金は、そこそこあればいいのです。それよりも毎日の生活の幸せをしっかりと見つめて、お金に振り回されないようにしなさい」。すごいなあ、と思う。真理だと思う。

僕は、タイで建設会社の駐在員として働いているが、果たして僕らの仕事はタイの人たちを幸せにするのだろうか、ということをときどき考える。外資系の工場を作り、ビルを建て、確かにタイという国は経済的に発展するかもしれない。でもそれは本当に幸せに繋がることなのだろうか。幸せの基準を「お金を得ること」だとすれば、僕らはその一助になりえる。でも本当の豊かさは、やっぱりお金ではないと思うのだ。

毎日、子供と夕食の食卓を囲むこともなく、残業して疲れて帰って、チンした夕食をかきこむ日本のお父さんたち。愛する子供の寝顔を見て、俺はこいつらのために頑張っているのだ!と歯を食いしばったところで、子供が本当に必要としているのは、生でお父さんと触れ合う時間である。子供のためを思うなら、一緒に過ごす時間を増やしたほうがよっぽど幸せなのである。でも「みんな」がそうしているから、自分だけそうしないわけには行かない。経済が成長したひとつの結果として、大事なものを犠牲にしていないか?

タイという国には、僕はそうなって欲しくないと願うのだ。だから自分たちがしている仕事自体に疑問を感じるようになってしまった。それからもうひとつ。お金に振り回されることはもう止めてしまおう、というのが最近の気分である。まあそうは言っても安心はやっぱり欲しくなるんだけどね・・・(笑)。
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by beerman7 | 2012-03-01 17:35 | 雑記