人気ブログランキング | 話題のタグを見る

千代田

寝ながらふと、そういえば長いこと「千代田」という文字を書いていないことに気がついた。
知り合いが「千代田××」という会社に転職することになり、頭が何とはなしに「千代田」という文字を思い浮かべようとしているのだが、「代」の字のイメージがぼんやりしていてなぜかうまく思い浮かばない。起きてみてペンで書いてみれば手が覚えていて書いてくれるのだろうが、頭の中のイメージだけで再現しようとするとやっぱり出てこない。2,3度会ったことのある人の顔を思い浮かべて、「あれ?どんな顔だっけ?」とイメージがぼやけたのと似ている。気持ち悪い感じがしたので結局、夜中に起きて僕は紙に「千代田」と書いてみた。書けた。ちゃんと覚えているのだ。

しばらく考えてみたのだけれど、例えば漢字の読みのようにその文字を読むことはできるけれど、思い出して書くことはできないできない状態というのがある。これは忘れてしまっているわけではなくて「インプットは問題ないけれど、アウトプットできない状態」と言える。当然「インプットもアウトプットも問題ない状態」があるし、「インプットもアウトプットも問題がある状態」、まあこれは大雑把に言えば「知らない」ということになるかな。あとは「インプットは問題あるけれど、アウトプットは問題ない」ってのは、考えると長そうなのでとりあえず保留。でも面白いテーマ。

さて僕の「千代田」をイメージできない状態は、結局は「インプットもアウトプットも問題ない状態」だったのだけれど、実際にアウトプットし終わるまではアウトプットができるかどうかわからない状態だった。これがなんだか面白い。文字を書いている最中は、アウトプットしながらその途中経過をインプットして、自分の記憶と照らし合わせてOKならば先に進む、NGならちょっと待て!の判断をしている脳の働きがあるような気がする。その途中経過を判断している過程で、行き先を見失えば「思い出せない」となるし、うまくいけば「思い出せた」となるわけだ。「思い出せない」にもまったく書けない状態からなんとなく文字の形は覚えているとか、点をつける位置を誤ったりと、いろんな正解ではない状態があって、0か1で測れないのも面白い。

結局「覚えている」という認識は、自分がアウトプットできる状態を自分がもう一度確認できなければ、そういう認識はできないのだな、と思ったけれど、ふと「でも俺は千代田を書けないなんて思ってなかった」よなとも思い直して、それは「覚えている」と思い込んで錯覚しているようだけれど、ちゃんとアウトプットできたからその認識は間違いではなかったけれど、思い出せなかったらただの錯覚だったと言えるわけだし・・・・・・うーん?、と、その後は考えがぐるぐるしてきたので寝ることにしてしまったので、僕の思考はそれ以上進むことはありませんでした。
by beerman7 | 2011-02-09 10:05 | 雑記