ユイちゃんの真実

最近、かなり遅ればせながら、
小林よしのりの「戦争論」を読んでいる。

その内容について書くつもりはないけれど、
いかに自分が偏った思想の元に教育を受けてきたかが分かる。
だからといって、
小林よしのりが描いていることが正しいと思うこととは別である。


それはまあ例えば、こういうことだ。
ユイちゃんという女の子がいたとしよう。
ある日学校で、学級会の時間に別の生徒が、
「この前、ユイちゃんがお寺のお供えを食べてた!」と発言した。

それを聞いた先生は、
「ユイちゃん、それはいけないことでしょ!
これからはそんなことするんじゃないのよ!」と怒った。
他の生徒もこれと同意見だった。

先生の叱責はさらに続く・・・。
「なんでそんなことしたの!みんなの前で話してごらんなさい!」
ユイちゃんは下をうつむき、
「だって・・・」とだけつぶやき、そのまま下を向いて黙り込んでしまった。
先生は最後に烙印を押した。
「あなたは、乞食のような子ね!」

次の日からユイちゃんは、クラスのみんなから、
拾い食いのユイ、泥棒ユイと呼ばれていじめられることになってしまった・・・。


さて、下の中から、正解は何でしょう?
①本当にお腹が空いていて、ついおいしそうなお供えを食べた。
②兄弟とのおやつ争奪戦を避けるため、
お母さんが戸棚に隠していたおやつを一時的に
お供えのように見せかけて隠した後に食べた。
③お賽銭を10円入れようとしたら、間違って100円入れてしまったため、
もとを取り返すために、お供えを食べた。

・・・と、こんなことは、想像すればいくらでも出てくる。
でもその本当の真実は、本人にしか分からないのである。
だから、ある(断片的な)事実を持って、
または力のある人が情報を発したからといって、
それを真実だとしてしまうことは、かなり危険な行為なのである。

で、正解は、というと、
④その日は大好きだったおじいちゃんの命日で、
おじいちゃんと一緒におやつをたべるつもりで、
一度お供えしたお菓子を食べていた。
でした~!

というのも、冗談で・・・。



世に溢れる情報は、情報発信元の思想や背景、
何にとって、誰にとって都合がよいか、などという力関係によって、
都合よく編集されたものかもしれない、ということは、
忘れてはならない、と思うし、
たいていの情報は、裏に何かしらの意図があるものだと思って、
受け取っていくべきだ、というふうに、この本を読んで思った。

でも情報の全てを客観的に見て、判断できるわけではないから、
「結局何も信じられないな」という結論しか僕には導くことができない。
悲しいかな、諦めと冷ややさをもって、情報とは付き合っていく。



そんな中、
自分が経験したことは、自分の経験という範囲の中で、
信じていいモノだと思っている。

ある人は「インドはすごくよかった」と言い、
ある人は「インドになど二度と行きたくない」と言うかもしれない。

こういう二つの意見を聞くとき、
僕は相手が何を経験してきたか、
どんなフィルターを持って、その世界を見てきたか、を見る。

インターネットで、本で読んだ、なんていうのは論外。
話しもしたくないし、聞きたくもない。
だから何?と、徹底的に潰しにかかるかもしれない。
一日でもインドという地を自分の足で踏みしめ、感じたことならば、
自分とは違う考え方だったとしても、
自分の経験と比べながら、相手の話しを聞きたいと思うし、
それがその人にとっての真実なのだと理解できる。
いいとか悪いとか、折り合えなくても、そんなことはどうでもいい。


だから僕は、自分が経験をしていないことを、
いいとか悪いとか、たぶん言わない。言えない。
自分が経験したことがないのに、
いいとか悪いとか言う人の話は信じない。


時々、都市というものを否定したくなるのも、
そんなところから来ているのかな、と思う。

自分が生かされているという認識がないくせに、
自分の足で生きているような顔をしている人間が、
あまりに多いと思うからだ。そんな空気はあまりにも臭い。
でもそこに住んで吸っているうちに、
いつのまにか、呼吸できるようになっていたりもするんだけどさ・・・。



それにしても自分自身で経験するには、あまりに人生は短い。
けれど、体当たりで人生を送っているような、
そういうブサイクな人は、本当に愛しいと思う。
そんな人から、自分が経験できていないことをもらえたらな、と思う。

だからこそ、僕自身もそうやって生きて行きたいし、
受け取ったり与えたりの時間を過ごして行きたいと思う。
と言っても、おれ、結構セコいんだけどね・・・。
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by beerman7 | 2009-02-22 18:45 | 雑記